最終話 繁殖巣がもつ矛盾

 カヤネズミの仔育ての様子を、繁殖巣の構造と機能がもつ矛盾および雌親の繁殖巣内外での行動がもつ矛盾という視点から理解することが、カヤネズミの生態の全体像を把握するうえでカギとなることを最終話としてまとめてみました。
 繁殖用の巣は主としてイネ科草の葉を細かく裂いてつくられます。このような巣の壁は多量の空気層を含み、断熱性の高い構造となっています。さらに、雌親が巣外に出る際に幼獣を埋め込む内層は、茎を細かく裂いた巣材やススキの穂などを用いてさらに保温性を高めています(第2話)。未熟な状態で生まれてくる晩成性の種であるカヤネズミの幼獣にとって、雌親による加温やハドリング(Batchelder et al. , 1983)行動とともに、巣内の高い保温性が幼獣の生存に非常に重要な要因となります。幼獣の体毛が生え、体熱産生機能が十分発達するまでは、高い保温性が繁殖巣の機能として要求され、それを実現する巣の構造が重要な意味をもっていることは明らかです。

気温が下がってきたためか?出産したばかりの雌親が、入口を閉める様子 (65MB 1分10秒)


 体重に比して体表面積が大きいという特徴をもつ他の小型哺乳類と同様に、カヤネズミは、体熱産生を高めるために頻繁に採食して採食量を多くすることが必要です。このことは逆に、カヤネズミの個体は高い体熱産生を行うために、もし体表からの放熱がうまくいかない事態となった場合には体温が上がる危険性を秘めていることになります(例えばSpeakman & Król, 2010)。幼獣が成長し、体熱産生機能や体温維持機能が発達してくると、幼獣と雌親の体温により巣内は高い温度で維持されます。繁殖巣の高い保温性は体熱の放散が阻害されることを意味しており、巣内で生活する母仔にとって体温上昇の危険性が高まることになります。哺乳動物における体温上昇は雌親の乳生産に悪影響を及ぼすとともに、幼獣の成長を抑制することが知られています(Król & Speakman, 2003)。幼獣と雌親で膨れ上がった巣は、今度は高い通気性が必要になります。当初の繁殖巣に要求される機能を満たすために作られた巣の構造は、この段階で要求される機能とは全く矛盾することになります。

 カヤネズミはこの繁殖巣がもつ矛盾をどのように解決しているのでしょう。
 雌親は子供が大きくなってくると入口から身を乗り出して休息したり、巣外に出て風通しの良い場所で休息したりすることが観察されます。この行動は体温を冷やす効果をもたらしていると推測されます。また、雌親が巣壁の巣材を押し広げ風通しを良くしていると思われる工作をやることもしばしば観察されます。さらに、温暖な季節には繁殖巣がイネ科草の風通しの良い中高層につくられることはよく知られています。保温性の高い巣をつくることと通風性の高い位置に巣をつくることとは矛盾した行動に思えますが、仔育ての進行とともに顕在化する繁殖巣の構造と機能との矛盾を解決する方法として採用されていると考えることができます。
 第5話でも触れていますが、雌親の育仔期間中の繁殖巣内と繁殖巣外の行動とは矛盾する面をもっています。第6話のデータでも見られるようにカヤネズミ雌親は頻繁な採食を必要とします。例えば、第6話のデータでは分娩後4日目に1日8回計約7時間30分採餌に費やしています。1 回当たり 1 時間近く繁殖巣を離れていることになります。このデータは飼育ケージで得られたものであり、野外では餌探索時間も加わって、採餌のための離巣時間はさらに大きな値になると推測されます。体熱を下げる休息のために離巣する時間もあります。さらに、雌親が巣外にいる時間は、次の(進行中の育仔終了後の)繁殖を成功させるうえで非常に重要な雄との遭遇や性行動が展開される機会でもあります。
 また、分娩時の発情(後分娩発情)で妊娠した場合には、幼獣の離乳前から胎内の子供たちのための新しい巣をつくっておく必要がありますし、後分娩発情で交尾しなかった場合は、分娩後 4 日目頃に雄を誘引する機能をもつと推定される球巣(多くは通り抜け構造)をつくる作業を行うことも観察されています(やや古い例ですが石若・増田, 2013)。
 雌親の繁殖巣内での授乳、保温などの育仔行動は、幼獣の正常な成長にとって不可欠ではありますが、最小限どのくらいの時間が必要かという情報は得られていません。巣内の育仔活動と巣外での活動とが時間という点で矛盾する関係にあることは自明です。雌親がどの様な体内時計で繁殖巣内外の活動時間をコントロールしているかは全く不明ですが、カヤネズミが繁殖巣内外の活動の矛盾をどのように解決して、雌親自身の体維持はもちろん、仔育て、次の繁殖、それぞれの目的を達成しようとしているかを考察してみたいと思います。矛盾の解決法として採用されているものとして、巣内外のそれぞれの活動時間をできるだけ短縮して行動目的を達成するための適応、活動時間が延長した場合に他の活動目的に大きな影響が生じることを回避する適応などが想定されます。
 巣外での活動目的を短時間で達成することに影響する要素として、本種の特徴の一つである植物茎葉を敏速に昇降する能力に併せて、優れたジャンプ力と敏捷な走りによる地表部の移動能力を挙げることができます。また、餌資源の分布場所と繁殖巣との距離も重要であり、雌親による繁殖巣の営巣位置の決定に餌場との関係が要因となっていることが考えられます。それを示唆していると考えられる報告もあります(今吉・鮫島, 2011)。
 巣外での繁殖行動に関してもいくつかの本種の特徴が認められます。雄との遭遇機会を高めるうえで、雌によるマーキングはマウスなどで研究されています(例えば Roberts et al. , 2018)が、本種についても雌によるマーキングおよび繁殖巣そのものが雄の誘引効果をもつことも明らかにされており(石若・増田, 2014)、育仔の場付近に雄が接近している確率を高めています。また、分娩直前に接近する雄に対する威嚇行動は、非妊娠雌の非発情時や妊娠時における雄への強い威嚇行動と比べ非常に弱いことが観察されています。これは雌の後分娩発情時に雄を巣の近辺に待機させておく効果があると推測しています(第 4 話)。さらに、マウス、ラットなどと比較して非常に短時間で交尾行動が成立する(石若・増田, 2016)ことも巣外での繁殖行動の短縮に関連する特徴と考えられます。
それでは、幼獣の成長に大きな影響を与えないで繁殖巣外の行動を成功させるために繁殖巣内の育仔においてどのような方法が採用されているかを見てみましょう。繁殖巣の構造に保温性を高める工夫が施されていることは前述のとおりですし、雌親は巣外に出る際に幼獣を巣内内層に埋め込んでいくことも体温維持効果があると推測されます。複数の幼獣がいればハドリングも体温維持に大きな効果を発揮しているでしょう。しかし、新生幼獣の体温は供給される栄養分による体熱産生と雌親の保温によって基本的に維持されるため、長時間の母親の不在は体温の低下をもたらすことは避けられません。採餌のための離巣の他に、巣外に出た際に雄と遭遇し、繁殖行動を行う場合には、雌親の巣不在時間は大幅に延長します。この間の幼獣の体温変動を観察したデータは未だありませんが、体温低下は避けられないと推測されます。しかし、筆者らは数時間の雌親不在があった場合でも幼獣は順調な成長を示した多くの例を観察しています。低体温に対応できる何らかの機能があると推定せざるを得ないのですが、未だこの点の解明はできていません。カヤネズミ雌親は幼獣に対して吐き戻しを行うことが報告されています(Ishiwaka & Mori, 1998)。吐き戻しが幼獣の成長にもつ意義については解明されていませんが、雌親の頻繁な不在に伴う幼獣の空腹とそれによる体熱産生の低下に対応する習性である可能性も想定されます。幼獣の栄養生理、体熱産生に関する生理学的な解明が待たれます。

 ここで留意しておく必要があるのは、カヤネズミの生存戦略的には、育仔の成功と次の繁殖の成功とは同様に重要であり、両方の成功を実現するように様々な生理や行動を進化させてきたと考えられるものの、環境や個体の条件によって、結果的にどちらかを犠牲にせざるを得ない状況が生まれることが、フィールドでは普通に起こっているのではないかと推測されることです。

 カヤネズミが繁殖巣を舞台としてみせる様々な行動を、繁殖巣の構造に基づく機能と育仔の場として要求される環境との関係、および雌親の仔育ての過程における繁殖巣の出入りの意味から総合的に考えてみました。野外の観察では、カヤネズミの雌親がどこかから繁殖巣へ通いながら育仔をしているようにみえることがあります。しかし、私たちが目にしているのは、繁殖巣に関わる矛盾を解決し、仔育てと次の繁殖とを成功させるための
雌親の行動の一コマにすぎません。カヤネズミの行動を理解するためには、詳細な栄養、繁殖などに関わる基礎的研究の蓄積が不可欠です。

参考文献
Batchelder P, Kinney RO, Demlow L, Lynch CB. 1983. Effects of temperature and social
interactions on huddling behavior in Mus musculus. Physiol Behav. 31, 97-102.
今吉 努・鮫島 正道. 2011. 植生からみた川内川のカヤネズミ生息地.カゴシマネイチャー. 37, 39-47.
Ishiwaka, R, Mori, T. 1998. Regurgitation feeding of young in harvest mice Micromys minutus (Rodentia, Muridae). J Mammal. 74.1191-1197.
石若礼子・増田泰久. 2013. 繁殖巣に隣接して造られた巣の利用. https://kuju-ecomuseum.org/kaya-bettaku/
石若礼子・増田泰久. 2014. カヤネズミの巣の信号的機能. https://kuju-ecomuseum.org/kaya-sunokinou/
石若礼子・増田泰久. 2016. カヤネズミの繁殖行動-性周期における発情期の場合-. https://kuju-ecomuseum.org/kaya/
Król E, Speakman JR. 2003. Limits to sustained energy intake VI. Energetics of lactation in laboratory mice at thermoneutrality. J Exper Biol. 206, 4255-4266.
Roberts SA, Prescott MC, Davidson AJ, McLean L, Beynon RJ, Hurst JL. 2018. Individual odour signatures that mice learn are shaped by involatile major urinary proteins (MUPs). BMC Biol. 16:48-67. Speakman JR, Król E. 2010. Maximal heat dissipation capacity and hyperthermia risk: Negelected key factors in the ecology of endotherms. J Anim Ecol.79, 726-746.

(2018 年 11 月25 日) (2018 年 11 月29 日一部補正, 2020年11月10日最終話に動画と写真を追加)

←第6話   まえがき→

草地調査

前の記事

2018年第3回草地調査
草地調査

次の記事

2019年第1回草地調査